水槽

ままならんなぁと思いながら生きてます。

死が二人を分かつまで

三ヶ月ぶりなのにメンヘラポエマー扱いをされるものを書く。いいんだ。お久しぶりです。書きたいことをダラダラタラタラ書きました。常に脱線をしています。自分のために書いたからいいんです。

 

新たに彼氏ができた。松くんと別れて八ヶ月が経った。二三五日。わたしにしてはおかしなほど間が空いた。初めての彼氏と呼べる相手ができて以来、男を切らしたことがない。別に自慢でも卑下するわけでもなくただの事実だ。だった。他人とべったり出来事や感情を共有することに安心する癖のあるわたしには、彼氏という存在は友人よりもちょうどよかった。

松くんにもう必要ないと言われ、初めて聞いた「俺たちの合わない理由」を受け入れられずに泣いて縋った。合わせてみせると説得もした。「なんでお前の介護に俺が付き合ったらなあかんねん。もう話はこれでええやろ。」と言われた。終わりだ。約束してたはずの地元での映画デートも、彼の親御さんやお友達への挨拶も、彼が映画を見ようと言ったから慌てて借りたSWシリーズも、冨樫義博の原画展も、わたしの誕生日祝いのケーキも、次の春には一緒になろうと決めて頑張っていたはずのわたしたちも全部消えた。介護ってなんだよ、とふと思い出してはむかっ腹が立つ。腹が立つくらいには時間が過ぎた。レンタルしたDVDは全部百円セールだったはずなのに、返すころには百倍になっていた。結局ほとんど見ていない。

 

 

今の彼氏と出会うまでのおよそ二四〇日は、ただ過ぎた。あまり記憶にない。周りが本当に心配してくれて、迷惑もかけた。母親と和解もした。こんなことで和解できるなんて、人間も人生もわからないものだと思う。人間は悲しみで繋がるほうが手っ取り早いのかもしれない。痛みは喜びよりも自身や他者の劣等感を刺激しない。優しくなれる。同情できる。同情なんてほしくなかった。この気持ちの端から端までわたしだけのものにしておきたかった。そのくせ 一人で抱えきれないで数日を飲まず食わずで泣き暮らし、その後は酒で泥のようになりながら、深夜の道端でその場にいるはずもない松くんに土下座した。自分が90年代トレンディドラマばりの大失恋をするとは思わなかった。

 

 

春、気を紛らわせようと短期で入ったバイトが思いのほか楽しくて、ああ接客業が好きだ、向いてるなあと思った。そこで知り合った人たちと、何度か食事に行ったり花を贈られるようなことにもなった。今までのわたしなら適当にうまく付き合えたろうし、実際試みもしたがダメだった。

誰と手を繋いでもしっくりこないで変な汗が出るので、それ以上進める気もしないからお付き合いを断念した。松くんの顔が浮かぶわけではなかった。なんとなく、いわゆる「恋愛とか今はいいかなー」になった。

 

彼氏がいない時間というものが存外気楽だったのは驚きだった。生活リズムは己のためにあるんだなあ。忙しいふりをして、松くんの誕生日や帰ってこない荷物から目をそらした。

 

 

言いたい話からそれるので割愛するが、数ヶ月前に神のお告げが聞こえる方を紹介され、とてつもない速さと滑らかさで仕事が決まった。彼氏はその勤め先の御曹司だ。お会いする前から散々、偉いさんがたや研修先からは趣味も歳も近く似合いの二人だと揶揄された。おいおい、弊社の跡取りの色恋沙汰で遊ぶなよ。会いづらくなるわ。

こちらからすれば、彼の態度は他と比較しようがないのだが、周りから見るとそれはもう一目瞭然だったらしい。食事会での様子を見て「坊ちゃんがあんなに積極的になるなんて!これはもう決まったも同然だ!」と盛り上がっていたようだ。なんとも空気に押されている。

しかしなんだ、わたしだって最初は独特のテンポに思い切り戸惑ったし今も正直どうしてこうなったのかわかってない。わたしの人生、だいたいいつもこうだな。

ただ、付き合う前も付き合ってからも、わたしに喜んでほしくて一生懸命尽くしてくれている姿には胸を打たれている。そのへんもまあ、なかなかに独特ではあるんだけど、女性慣れをしてくれれば変わるかもしれない。誰だって経験のないことはうまくできない。どんな経験者だって、大怪我をしないための勘がよくなったっていつでも無傷でいられるわけじゃない。

 

また脱線した。すぐ心と脳味噌が蹌踉めく。昔からまっすぐ道を歩けないのだ。

 

なんにせよわたしは、付き合う相手を嫁にもらわなくてはいけない人に見初められて付き合いはじめた。いいところも悪いところも正直ちっともわからない、表面的でお愛想みたいな関係だ。大きく仕組まれたお見合いみたいなもんで始まったからまあこんなもんでしょ、という気持ちもある。他人とペースを合わせることを知らない坊ちゃんらしい振る舞いに意識が遠くなることも何度かあったが、意外と悪くないように思える。

この人はよくわからない自分のテンポで生きてはいるが、なぜかわたしの嫌がることはしないのだ。付き合ってもいないのに頭を撫でてくるようなよくあるクソ男みたいなことも、セクハラめいた気分の悪くなる会話もない。何度目かもわからないデートでようやく十分ほど手を繋いだ。手を繋いでも嫌な汗がでなかったから自分の心に従ってみることを決めた。

 

 

また人と付き合うにあたり、未練や恋慕ではないところで松くんとのことを反芻する時間が増えた。そしてもう誰とも付き合うべきでないのではとか、おそらく人生で一番激しく、本気で好きだった相手とさえこんな顛末だった私が、今後誰かと家族になるとか一生暮らすとか、そういうことができるのか。たくさん考えては泣く夜が続いた。数ヶ月こんな気持ちはしまいこんでいたのに、喉の奥がぎゅうぎゅうと締め上げられて痛むたび、視界が歪んでいった。反故にされてしまったたくさんの約束や、一人で何度も往復した彼の家からスーパーまでの道や景色、家の匂い、靴の並び、彼と撮ったほんの数枚の写真が記憶の波に打ち上げられる。もうとうに終わったことで、やり直したいわけでもないのに、どうしてか鮮明で眩しい。いい思い出なんてもう、ほとんど残ってないのに。

人生で一番激しく、本気で好きだったし、ああ愛とはこれかとさえ思えた相手だった。たぶん、わたしの全部だった。顔も背丈も、口癖も価値観も何もかもが相容れないのに、どうしても好きだった。自惚れではなく、松くんもそう思ってくれていたことは知っている。

 

松くんが特別なんじゃなくて、松くんとの思い出や時間そのものが特別なんだと本当は知っている。一緒に幸せになりたくて、一緒に頑張れるなら不幸せでも満足だったあの頃の心のかたちが特別だった。鬱であった彼はよく「死にたい」と泣いていた。家庭環境がなかなかひどいわたしもよく同じ言葉を繰り返していた。松くんは、ナナが死んだら後を追うと大泣きしていたし、わたしも逆の立場ならそうすると信じて疑わなかった。あの頃のわたしたちは、お互いに死んでほしくないから自分も無理して生きていた。それでもこうなった。わたしのせいでもあるし、彼のせいでもあるし、どちらのせいでもないんだろう。わたしたちの抜け殻が一緒にいた街や部屋を徘徊する。死ぬまで一緒だと言ったね。

 

 

彼氏(今後、漱石くんと呼称を改める)は女性慣れしておらず、奥手でまっすぐで、好きともうまく言えないでいるような人だ。それなのに漱石くんはわたしの挙動や髪が長いこと、似合いそうな服、ひとつひとつ丁寧にすくい上げては「可愛い」と一生懸命に話してくれる。サプライズが好きらしく、差し入れでもプレゼントでも前触れなく子供のような無邪気さで持ってきてくれる。漱石くんの優しい感情はなんだかくすぐったいものだ。遠くない未来、わたしはわたしを殺すだろう。松くんを愛して、彼との思い出と心中し損ねたわたしを丁寧に殺すのだ。そうしないとわたしはもうどこにもいけない。愛が死んでくれないと、幸せになれない。松くんのいた場所から離れられない。一緒に不幸せになれないのなら、きちんとぬるま湯のような幸せにたどり着きたいのだ。

 

 

 

頑張ってみるから、幸せになってもいいと言ってほしい。大事な人を傷つけて大事にできなかった臆病なわたしにもチャンスはあると誰か言ってほしい。心のお墓参りを済ませて次へ進もうとするわたしを許してほしい。誰に乞うているのかわからない。たぶん、わたしの心の中の愛した人の亡霊だろう。さようなら。